禺画像]
かつてイタリアで開催されていた「べスパ1000kmラリー」の様子を伝える。
(★★★★☆)
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あんまりユーロが安いので、久しぶりにイタリアから本を買っちまいました「パート2」。
これ、「安売り」の札に釣られて買ったんだが。
届いたのは・・・とてつもなく汚い本でした!。
一体いつの本だこれ・・・とブツクサ言いながら一生懸命拭いたら、なんぼかキレイになったが。
刊行は・・・2001年、かな?。10年前。
お話の方は半世紀も前の話で、昔、べスパで公道1000kmを走り抜けるイベントがイタリアで開催されていて、その様子をまとめている。開催期間は、途中、中断期間があって、表題の通り、1951 〜 1954年と、1965 〜 1970年に分かれる。
パラパラめくった限りだが、もうひっちゃきに1000kmを飛ばし続ける・・・という感じではなくて、そこはベスパなので、すそ野は広く。「ベスパクラブどこそこもエントリー!」といった感じで、皆さん、なかなか楽しんじゃっているように見える。
禺画像] コース図です。イタリア半島の根元。
禺画像] どんどん走ります。
禺画像] まだフェンダーライトの時代。
雨でも走ります。
禺画像] 道が川でも突っ切ります!。
禺画像]
禺画像]
禺画像] 女性のエントリーも。いい笑顔だ。
「まだ戦後」を思わせる、まばらな風景の中を、多数のベスパが駆け抜けている。
サポートは草イベントのレベルではなく、かなりしっかりした印象。(当然、ポンテデラも噛んでいただろうし。)
エントラントも結構多くて、なかなか盛況だったようだ。
禺画像] 再開後のコース図。イタリア中部側に移ってますな。
禺画像] ライトがハンドル部に上がって、今風の外観に。
禺画像] 街並みも少し現代風に。
禺画像] ダートも走ります。
禺画像] 夜も走ります。
禺画像] 風光明媚ですが、走ります。
禺画像] ゴール。
こんな風景を見せられると、考え込んでしまう。
「みんなで楽しむ」には、ベスパのような小排気量が手軽でいい。
これを、長距離の公道レースというイベントに仕立てて、実際にみんなで楽しんでいる。
素直に、うらやましい。
ここ日本では、こんな楽しみ方はできたこともないし、これからもできないだろう。
いつぞや
自分のサイトにも書いた が、「レース」のすそ野は、狭まる一方のように思える。
レースが、性能や耐久性の証しだった時代は、ほんの初めのうちだけだった。
今やレースは、限られた選手が、金網の向こうのクローズドサーキットでやるものだ、とみんな思っているだろう。そしてそれは、勝利のためではなく、販促や、訴求のためにある。
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