読書ログ ぼくはお金を使わずに生きることにした
2012-05-26




カネのやり取りなしの生活を一年間やってみた記録

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それなりにビジネスにも関わり、普通に生活していた青年が、まあいろいろと、社会や日常なんかに疑問や思うことがあって、その原因の一つが「カネ」にあるのではないかと考え始め、それを使わずに生活したらどうなるか、実際に試してみた。その記録の本である。

時に、2008-2009年。ちょうど、金融危機の嵐が厳しかった頃だ。
表紙に見るように、屈強で、実は陽気な彼なのだが、彼なりに、行き詰っていたのかも知れない。

東洋思想の影響も垣間見える。
 ・何ができるか、より、いかに自制できるか。
 ・能力に縛られることもあるし、荷を降ろすことで楽になることもある。
彼は、素のままで、その間を行き来してみせる。

ここで言う「カネなし生活」が何を示すかは、少々注意が要る。

カネを使わない、と言っているだけで、文明の利器を一切使わない、というわけではない。裸一貫で森の中でサバイバル、ということではなくて、鍋釜を初めとして、電気なんかも、それなりに使う。目指す所はやはり、CO2などの環境インパクトや、資源の無駄遣いを極力減らし、素に近い生活を目指す、といった風情の暮らし方であって、そのためのルールを自分で決めて、取り組んでいる。

まず、カネなし生活に耐えられそうな最小現のインフラを、あらかじめ(なるべくカネをかけずに)揃えて、よーいドンで、カネから手を切る。前もって準備を整えているので、不意のサバイバルという感じではないし、始めた後も、文明と手を切るわけでもない。ネットによる物の調達や(不要物あげますサイトの類)、自分の様子をネットで配信したりも、し続けている(電源は太陽電池)。「カネなし」を始める前に、その計画をネットで配信したのがジャーナリズムの目に止まり、少し大きめに取り上げられたらしい。あらかじめ注目されていたこともあって、その後に彼の書いた記事が、ブログの上位にランキングされたりもしたそうだ。本書も、そんな風にして、パソコンで書かれたもの、とのこと。

考えてみれば当たり前なのだが、彼一人がカネのやり取りを拒んだところで、彼の周りでは、いつも通りの、資本主義、貨幣経済の文明社会が回っている。それとの接触は普通にあるわけで、カネはなくとも、モノや労働、エネルギーのやり取りは、せざるをえない。多数の仲間たちとも係わり続けていて、実際に支えられてもいる。そこでの「受け渡し」の良し悪しや可不可、妥当性なんかは、彼独自のルールによって判断し、振り分けている。(イギリス的である。)

まあそんななので、もしあなたが、「無一文になった時の参考にしたい」と思っているなら、当てが外れるだろう。

「金銭というシステムに支えられた現代社会の矛盾を深く考えたい」人にも向かない。そこまで考察を深めるには、著者は、ちょっと若すぎるようだ。いろいろ考えをめぐらせてくれてはいるのだが。

なるべくカネをかけずに、環境負荷を減らして暮らしたい人々の、「ちょっとしたノウハウ集」という意味では、参考になるだろう。ニュアンスとしては、「その辺に生えている、食えるキノコの見分け方」なんかに近い。

野の草を摘み、冬の寒さを我慢し、屋外の水仕事に耐える。
表紙の写真にあるように、若くて屈強な彼だからできる、とも思う。
「一年限り」だからできたのかもしれない。これがもし、もうずっと逃げ場がない、一生続く、となると、ニュアンスが相当変ったのではないかとも思う。

イギリス人(アイルランド人)は、「辛いが楽しい」という考え方をする連中でもあると聞く。(また、そういう連中が、イギリスに集まっているようにも見える。) そんな環境というか、背景もあったのでは、と感じられた。

本書の最後に、彼は、何を得られるか、ではなく、何を与えられるか、が幸せの元だと言う。
彼は、成長したようだ。


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