バイクの本 「ホンダ・フラッグシップバイク開発物語」 つづき
2013-02-24


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不本意ながら、また連載になってしまったが。
以降の本書の内容は、「ほぼ繰り返し」だったので。
なるべく端折って終わりにする。

先週のCB900Fが目指したのは、ヨーロッパ市場だったが。次は、北米市場だ。トピックとしては、V4エンジンに話が移る。

筆者によると、商品性の差別化の手段としてV4が選ばれたということで、技術的な必然性や、ユーザーの要望があった訳ではなかったらしい。(昔のGuzzi のように、いろんな形式を予め試した経験を踏まえて選んだ、ということでもなかった。)

当初、本当にざっくりした検討は行ったらしいが、V4ならではの苦労には、開発を始めてみて初めて直面したものも多かったとか。シリンダヘッドが二つもある上に各々デカくて、エンジンの置き場所に困るとか、後ろ二気筒は冷却できないので水冷になるけど、ホースの取り回しに困るとか、エキパイの置き場所も無い上に等長にならなくて、特性が出ないとか・・・。(ちょっと考えればわかりそうなもんばかりだが。)

お決まりの「フルラインナップ化」も、苦労話になっている。スポーツ、アメリカン、レーサーイメージといった「タイプ」を横に、「排気量」を縦に取った表を埋める作業である。
何しろ、車種の数がかさむので、いくら急いだとて時間はかかる。始めのセイバーを勇んで買ったのにインターセプターが後から出て、「騙された」と怒ったユーザーが少なくなかったのは、笑えない昔話だ。(本書には書いていないが。)

このフルラインナップ化のコンセプトも、ユーザー視点での目標なり指針があったわけではなくて、ドコドコ感を出しましたとか、ジェントルなヨーロピアンツアラーとか、その辺の二流雑誌にもありそうなもので艤装しつつ、陣取り合戦を進めただけのことだった。(HY戦争の真っ最中だった。)

アレもコレも出したけど、結局、何がしたかったのか分からない。
当たり前だ。単に、「並べたかっただけ」なんだから。

その後、ホンダV4は、やっぱり、スペンサーがデイトナでハクを付けて(84年)、公道レーサーVFR750R(RC30)で頂点を飾って・・・と、先週と同じような粗筋をなぞって、話が終わっている。

個人的に、ホンダV4を思い出すと。
VF400Fだ。

当時、コイツは、先進的なV4エンジンと前輪16inchでもって、レプリカバブルの前奏曲を、高らかに奏でていた。
エンジンがビャンビャン回って結構速ええだの、コーナー入り口で逆ハンが要らねえとかいった妙ちくりんな評判と共に、当時のいたいけな若者たちは、当初、コイツを 「いいね!」 扱いしていた。

しかし、その実態は、弱っちいフレームと足回りはコーナーの奥で恐怖の腰砕けだったし、エンジンは耐久性が無い上にオーバーレブにからっきし弱くて、ワンミスであっさり昇天した。しまいにはフレーム本体がギシギシ鳴り出して、全く、刹那的でみじめな造りだった。

そんなんだから、粗方がツブれたのだろう、今、実車を見ることは、本当に稀だ。
当時の連中と話をしても、「また乗りたいリスト」にはかすりもしない、「イヤな思い出扱い」がほとんどのようだ。
だからきっと、CBX400Fのように、祭りのネタになることも無いのだろう。

まだある。

本書にある、VFR400Rに採用された片持ちスイングアームの話は、もっとすごい。

当時のレーサー、RVF400には、片持ちスイングアームはついていなかった。中型クラスのレースではタイヤ交換が無かったので、必要なかったのだ。片持ちが付いていたのは、RVF750だけだった。

一方で、市販車VFR400Rを売り出すためのフィーチャーとして、片持ちの採用は既に決まっていた。

そこで、筆者が、レーサーRVF400への片持ちの装着を働きかけ、半ば説得して、装着してもらった。


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