読書ログ 「幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語」
2013-04-13




この本が出た当時だが、あちこちの書評で取り上げられていて。
スゴイ、面白い、とあおっていたので。
実は、人知れず楽器好きなワタクシと致しましては。
あおられました。(笑)

ま、一読はしておこうかなと。
図書館の予約の、長蛇の列の一番最後に並んだのが、だいぶ前。

で、やとこさ順番が来ましたよ、と連絡をもらったので(半ば忘れていたんだけど)、借りて読んだ。

本のサイズも内容も、ほぼ予想通り。
ただの新書だった。

ビオラを奏者の著者が、楽器店の片隅で、この楽器に出会う所から、物語は始まる・・・・・
以下略。(笑)

一般的な擦弦楽器(弦をこすって音を出す楽器)は、バイオリンのように、首もとにはさんで使うタイプと、チェロのように床に立てて弾くものに分かれるが、ヴィオラ・アルタとは、首もとにはさんで使う方の、しかし、妙に大きい楽器である。(YouTubeに映像が出ているので、ご興味がある向きは検索されたい。)

そもそも、楽器なんてものは、その時代時代で、奏でたい音楽に応じて、いろんな種類のものが作られてきた。

今、我々が目にする楽器は、その雑多な系譜のうち、幸いに今も残っているもののいくつかに過ぎない。優れているので残っているのか、衰退途中だが死に絶えていないだけか、の違いはあれ、タイミングとしてラッキーだったから、今、実際に、音を聞いたり、手で触れたりできる。

このヴィオラ・アルタが世に出たのは、ほぼ一世紀前の頃。散逸したとはいえ、当時モノの楽器がまだ辛うじて残っていて、記録や譜面だのといった情報も、辿ろうと思えば辿れる微妙なタイミングにある。それ以前の、完全に途絶えてからの時間が長い代物だと、古びた資料をつなげただけの、カビ臭い古美術研究になってしまったろう。その意味でも、微妙にラッキーなタイミングにある楽器だった、とも言える。

どうも著者は、この楽器に「一目惚れ」したようで、ハナっから「これはいいものに違いない」な前提で、話が進む。
で、いろいろ情報を辿り、掘り起こしながら、「あ、やっぱりその通りだ!」という筋立てになっている。

一応、影の方の記述もある。

廃れた楽器だ。
廃れたなりの、事情がある。
著者が辿り、掘り起こす情報は、掘り起こされる方からすれば、忘れたい、忌まわしいものかも知れない。

そんな、紆余曲折を経つつも。
「影」の方は、「光」を浮き彫る添え物程度であり。
基本的に、ああこの楽器に出会えてよかったあああ調の、シャンシャンで終わる。

まあ、小説仕立ての、ちょっとドキュメンタリータッチの読み物としては、よくできた方だと思う。

一方で、著者の、音楽家としてのマーケティング、地味なヴィオラ奏者としてではなく、一風変わった、ヴィオラ・アルタの奏者(権威?)として、他者と差別化を計るといった意図もあったように感じられる。

楽器というのは、それ単独で、成立しうるわけではない。
何か、奏でたい音楽の方が先にあって、それに合わせて、最適化される方が一般なのだ。

今の日本では、想像するのも難しいかも知れないが。
歌(唄、唱)というのは、ずっと、生活と共にあった。

顔を合わせたとき。集まった時。ハレの場で。呑んだ時。
人々は、歌っていた。
その時に、誰かが後ろで奏でている楽器は、もっと身近だったし、体にも文化にも馴染んでいて、深く根付いていた。

オーケストラのクラッシックだって、本当は同んなじ様なものだ。
ただ、ヨーロッパ(ドイツ)の連中が、途方もなく凝り性だったので、大規模で複雑で、見かけ偉そうになっただけの話だ。(笑)

身に付いた、生活としての音楽。
それを、我々日本人は、失って久しい。

音楽といえば、テレビの歌番組で流れる、バンド構成で3分前後の、あんなのしか思い付かないご時勢になって、もう長い年月が経っている。


続きを読む

[一般]
[和書]
[音楽]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット