読書ログ 福野 礼一郎のクルマ論評2014
2014-11-16




久しぶりに礼さんの新刊を読んだ。

新刊といっても、例のように、どこぞの雑誌の記事の過去ログ集、しかも図や写真の類は一切なしの「活字オンリー」。このクルマのここのスタイリングがどうのこうのという、ビジュアルに関する文言が虚しく空振る作りだ。ページ数は結構ある(300頁ちょい)が、お値うち感はかなり低め。

記事の方は、いつものエンタメ臭プンプンの、テンポのよい筆運びは影を潜めて、ちょっとだけ、マジメな筆致になっている。

そも、「自分のインプレは当てにならない」ことを前提に書いている。

数値に対するこだわりが減ったように見える。スペックを引きながら、あっちが転んでこっちが滑った、とやる頻度が前ほどではない印象。それよりも、実際にモノに触れて、乗った感じがどうだったか、その感覚の方に重きを置いている。

感じ、感触、感情となると、当然、ぼやける。人の感じ方なんて千差万別(書き手と読者で感じ方は違う)、かつ尺度(知識の量と質、経験値の両方)も異なる。加えて、モノの方も、製造の個体差や、使われ方やメンテナンスの差、時間が経てば、同じ型とてメーカー未公表のマイナーチューンで別物になっていたりもして、いつ何がどう違ってるのか、わかったもんじゃない。

だから、正確を期そうとすると、この時期に、この個体で、このシチュエーションだとこうでしたよ、という言い方になって、何だか、言い訳じみてくる。あの、いつもの礼ちゃんの「バッサリ感」がない。(いや、後書きで、自分をバッサリ切っているが。)

著者の尺度は相変わらずで、ヨーロッパ車、特に高性能ドイツ車の、カッキリきっちり思い通りに走れる感がやっぱり「好き」で、それを見つけたとき、嬉しまぎれに出てきてしまう「礼ちゃん節」は、少しだけ楽しめる。

それでも、全体に「奥歯に物が挟まっている度」は、以前に比べれば、やっぱり高まっているようで。まあ、よく言えば熟成、悪く言えば衰えたような。

BMWの何番とかベンツの何型なんかが良くて、他は要注意(以前だと「スカ」呼ばわりかな)だとか、ゴルフ7の1.2Lが「神」だとか、そんなことが、いろいろ書いてあるのだが。当の読み手の私の方が、もうクルマには興味を失くしていることもあって、ほぼ遠い世界の物語として、楽しく読ませていただいた。

技術的にはいろいろ進歩していて、凄んごいんだな、というのはわかった。
他方、商品としてはファッション化、使い捨て化が進展していて、今この瞬間の輝きだけで、モノの価値を計る度合いは、その後もずいぶん高まったんだな、とも感じた。

私も以前は、真っ赤なイタリア車(クルマね)に乗ったことがあって、これがまたすごく気に入っていて。捨ててからもうずいぶん時間が経った今でも、たまに身体がふと思い出して悶絶するという(←エッチな表現だな)トラウマ持ちだ。だから、筆者がヨーロッパのイイクルマに乗ってヨガったりホエたりするのは、わからんでもないんだが。クルマの維持費に趣味性を持ち込む金銭的余裕をなくしてこのかた、そちらの方は、(半ば意識的に)完全に無視することにしている。

残り少ない金銭的余裕は、二輪たちの維持で食い尽くされ続けているわけで、クルマの本を読んだ感想だというのに、やはり、バイクの話になってしまうのだが。

評価の軸は、この著者と、同じようなものだと思うのだ。
「思い通りに動くもの」

今でも、LeMans 1000に乗るたびに思う。
前後左右上下、もう思い通りに動く。(「上下」は、加/抜重のことね。)

行きたい、または行くべきその時(タイミング)に、行きたい、または生きたい所までキッチリ行ける、そう思える手ごたえ、そこから得られる安心と、自信。


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