読書ログ 「哲学の起源」
2013-10-19




図書館で見かけて、題名に引かれて借りて読んだ。

著者いわく、「世界史の構造」という前著で書き切れなかった(入らなかった)部分を、改めてまとめなおした本、とのこと。その通りに、哲学に寄った思想史@私家版、と言った内容で、この手の題名にありがちな、ギリシャ哲学から始まる各派の連なりを朗々と追う、王道的な内容では全くなかった。逆に、著者ならではの視点そのものの披露が目的という本だと思う。

著者が、自分で古い文献に当たり、時代背景を含めて考察・解釈し、その本当の意味を推し量る。そして、それが現代まで、どのように連なっているか、または、変形・変質してしまって連なって「いない」のか、その流れを伝っている。

著者独自の解釈なので、世の定説とは異なっていることも多い。既にその時点で「誤りだ」との評価をされる場合もあろう。また、著者は、文献を原著(原語)で当たっているのではなく、翻訳を読んでいるらしい。なので、著者が「本当はこうだ」と主張するポイントが、本当に原著のニュアンスを正しく汲み取ったものなのかどうか、微妙そうに思う。そういった、いろいろな意味で、読者の側にも、「読み取る力」が必要な本だ。

ただ、著者の視線は、普段、我々が与えられている情報、あつらえられた「正門からの眺め」とは違って、どちらかというと、「横面の窓から、建物の中を覗く」ような感触がある。同じものを見ているはずなのに、形は違って見えるし、実際の生活感のようなものがあって、より生き生きとして見える。

神の言葉とは、神を語るものの言葉であった。
民主主義は、市民による支配であり、市民以外による労働(奴隷)を必要とした。
平和を求めるが故に、戦争が称揚された。

そんな逆説の数々が、面前に、矛盾無く立ち上がってくる時、我々の理解が、誤解である疑いを突きつけてくる。

宗教や思想、主義主張と思惑、プロパガンダとスローガン、欲望と陰謀。そんなカードを切り切られ、ゲームを進めているわけなのだが、そのカードを裏返すと、必ず「哲学」と、うっすらと裏書きしてある。その意味で、これは確かに「哲学史」なのだが、読者の方も、そう受け取れるものなのか、よくわからなかった。

個人的な感想だが、これは、精神の「所有」を辿る道筋なのではないかと感じた。精神の所有などと言うと、拒否反応を示される方も多かろうが、我々の「ものの考え方」の多くは、根本の所から、キッチリ何かに所有されている。例えば、アメリカのMBAなんかを称揚して止まない皆様は、精神をUSA流に所有されている訳だ。誰も、オリジナルの部分なんて、ほとんどない。粗方が、何かの傘下にある。

その「所有」の持ち主は、今と昔では違ったし、「所有」の形も違ったはずだ。その変遷を追おうという、思想史のサイドストーリーのように感じた。

それを辿って行けば、何か原点が「ある」はずだ、と思うのが普通だろうが、原点は「ない」ことであり、今、我々が失って苦しんでいるのは、その、「ない」ことから始める考え方だ、という著者の視点は面白かったし、私が感じていたこととよく似ていて、参考になった。


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