バイクの上半分 22
2014-01-05


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(前回までのあらすじ)
動作の主体は潜在意識にある動作プログラムであり、それを出来うる限り自由にさせておくのが、その能力を最大限に生かすコツだ。しかし、意識の方は、何がどうなっているかを知りたがるし、動作プロが動く過程に首を突っ込みたがる。ところが、それは動作プログラムの手足を縛ることになるので、かえって能力を損ねる結果となる。要は、その境目を正しく保つのが、意識にとっては大事な仕事、というわけだが、意識的にできることというのは、そんなことだけなのか。

その一つが、仮説とか、予知だとある。
たとえ、直接に認識はできなくとも、それが「ありうる」ことの可能性を、常に認識しておくこと。

ただでさえ、意識というのは、見たいもの、興味があるものに集中しがちだ。都合の悪いもの、特に「危険」などは、意識していないと見えない場合もよくある。

予期しているといないでは、実際に起こった際の反応速度も違ってくる。突然に思わぬ事態に遭えば、何だか判らないうちにドカーンもありうる。少なくとも、来るか?と思っていれば、大分違うと。

「驚かなくなる」効果もあると。驚くというのも、一種の感情的な高ぶりなので、正常な反応を妨げる。経験に裏打ちされた「予測」を多数備えている百戦錬磨は、反応のし方も肝が据わっている、というわけだ。

この、「予想」という能力を妨げる因子には何があるか。
まず、「疲れ」。
次に、激しい感情。上述のupsetの類もそうだが、逆の「あふれる幸せ」も該当すると。そして、厄介なのは「怒り」だとある。

これは、私も覚えがある。
私の経験では、最も簡単に運転を粗くする因子は、怒りと・・・尿意だ。
(後者は、特に冬に顕著である。笑)

しかし、「危険に意識を集中なさい」などと言われても、そうそう集中力が続くわけでもない。(一点集中は良くない、遠くを見なさいなどとも言っていた。)実は、予知も、動作プロに落とし込まれていて、本人も意識しないまま、何となく反応している場合があると。

コーナーの前でアウト側にすーっと寄っているとか、路面が荒れを感じて多めに減速するとか、危険因子(挙動不審や、黒いベンツなども含む)とは距離を大きめに取っているとか、そういうことを、無意識にやっている。

そうやって、潜在意識に落とし込むことで効果を発揮する場合もある、という意味では逆説なのだが。自分の「引き出しに無い」因子には、反応のしようがない。だから、常に新しい危険性は認識しておけ、ということだろう。

この辺りは、認識論の話でもある。
「予知できる」危険と言うのは、既に頭の中にある危険でもある。
つまり、その「危険」は、既に身体の中に内在するのだ。

これが、現実と違えば役に立たないし、あるべきものが無ければ、対処もできない。頭の中の認識が、自己本位だったり、突飛なものでは役に立たない。現実に即していないといけないわけだ。

つまり、現実を認めろ、事実の前に素直であれ、ということだろうか。
自信家はかまわないが、天狗はダメで、現実論者であるべきだと。
ケニーロバーツ がその権化だったなあ・・・と以前書いた。)

素人さんがダメな理由。
皆様も、ビギナーの頃を思い出すと身に覚えがあるかと思うが、えらく深々とリーンしているつもりでも、実は、バイクはさほど寝ていなかったりする。いわば、彼が限界を現実よりかなり低く見積もっていることになるので、例えば有事の際に、すくんでしまって動きが取れない。

玄人さんの落とし穴もある。
もっと行けるはず、と無闇に思い込んでいるライダーは、現実には存在しないマージンを使おうとしてしまう。

要するに、我々は「自分の思い込みによる限界」の中で走っている。

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