読書ログ 「プルーフ・オブ・ヘヴン」
2014-02-15




脳神経外科医が書いた、臨死体験の本である。
髄膜炎で1週間、意識を失っていた際の「体験」が書かれている。

内容としては、題名そのものだ。
「天国の証」

淀んだ不透明な場所から引き揚げられて、美しい光と、美しい音と、美しい風景に満ちた場所に到って「全能の愛」を感じた、また来た道を逆行し淀んだ世界に戻って目を覚ました、その途中で、既に亡くなっている親類に会ったり、外(病室、つまり「現世」)で自分(の身体)に話しかけたり祈ったりする人々の声を聞いた、

「あの世」は、物理的、時間的な概念とは違うところにある、ピュアに意識の世界であり、現世で感じる物事よりも、遥かにリアルな存在である、云々。

著者はそれを、純粋に霊的なもの、スピリチュアル、宗教的、そういったものと理解していて、その内容を正しく伝えることに、一種の義務感のようなものを持っているようだ。

臨死体験の内容としては、他にあるものと、よく似ている。
特に、真新しくない。

書いているのが脳神経学者だから、信憑性がありそうだ・・・
というのが話題性なのだろう。向こうでは、結構、売れている本らしい。
でも正直、それほどの本だとは思えなかった。

脳科学者ならでは内容というのは、ほとんどなかった。
終章に近くなって、脳科学的な知識をベースに、今回の体験を理解しようとするとどうなるか、という多少理屈っぽい解説は載っているが。「やっぱり、スピリチュアルなものとして考えざるを得ない」のような、結論ありきとも思える筋書きで、あまりパッとしない。

彼は、こうなる前は、ゴリゴリの科学者で、臨死体験による「あの世」などは、絶対に認めない類だったそうだ。ただ、今回、こうなって以降、臨死体験による突拍子もない体験談が、すごくリアルに理解できるようになったと言っている。これは、体験した人間にしかわからないのだろうと。

つまり、死んだことのない一般ピーポーにはわからない。
初めから、そう言っている。

そのせいかどうかはわからないが。
やっぱり、私には、さっぱりわからなかった。

この手の話は、「どうしても筋の通らない世界があることの証拠」が、「私が感じたことの現実感の強さだ」という理屈にならざるを得ない。本書も、その枠を一歩も超えていない。

だから、何か腑に落ちたとか救われたこともなかったし、まして、「あの世がそんなにいい所なら、ほいじゃいっちょう死んでみますか」とは行かない。

この手の読み物で、不思議だなあと思うのは、「天国」の感じが、「極楽浄土」とよく似ていることだ。(巻末の解説にも、同じことが書いてある。)

彼が見てきた場所が、「お釈迦様が垂らしてくれたクモの糸が切れなかったらたどり着ける所」で、実は創造主と仏様は同じ人(人じゃねえっての)なのかどうかは、知る由もないが。

現世の俗物たるワタクシの理解としては、人間というのは、死に際にそのような記憶を持ちうるものであって、昔から数多く語られてきた臨死体験を、宗教の側が体系化しつつ取り込んできた、つまり、事実は、この本にあるのとは逆の方向に進んできたのではないかと思うのだが。

著者の理解は無論、反対で、厳然として存在する「あの世」と「神」の一端を、キリスト教辺りが教えてくれているという、自身の宗教的な知識をベースに理解しているようだ。

もっとも、彼が「向こう」で感じたものは、神のイメージを包含する(上回る?)ものだそうで、彼はそれを「オーム」と呼んでいる。

とこの時点で、95年のあの騒動を経験した日本人である私としては、違うイメージが沸いてしまって、胸クソ悪い拒否感を持ってしまうのだが。(きっと煩悩のせいだ。)

しかし、読み物としては、よく書けている。

初めに発症し、症状が進む辺りの「ヤバイやばい・・・」という臨場感。
(引き込まれる。)


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