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「メンタルトレーニング」の話の続きだ。
その最も有用な使い道の一つは、
「実際に練習するには危険すぎる、不測の事態への備え」
だとある。
事故への備えは、大切だ。
だからといって、「たくさん事故をしてみて練習しましょう」
とは行かない。
「ハイスピードコーナーでのスライド」をいきなり練習するのもムリだ。
命がいくつあっても足りないし、免許が何枚あっても足りない。
まずは、ロースピードでそろそろと滑らせてみる辺りから始めるんだろうけど、もしハイスピード域ではやり方が違うものだったら、これも練習にならない。
そも、モータースポーツは、有事の際のとっさの時に、最適な判断を、時間をかけて、論理的に、導き出す猶予が無い。どれが一番良いのかを、手持ちの選択肢から探している暇なんかないのだ。
「瞬時に、身体が勝手に動く」
ようでないといけない。
つまり、動作プロに頼ることになる。
ということは、自分が「何ができないか」を正確に知る(意識する)ことが必要、という逆説になる。
また、「有事の際」に、もし逃げ道があったとしても、それは、「探さねば無い」ものでは役に立たない。「既にそこにある」ものでないといけない(間に合わない)。
さらに、それをとっさに選べるかは、
「見つけられるかどうか」の問題ではなく、
(当然、既に見つけているとして、その上に)、
「その刹那に、そこへ舵を切る動作プロがあるかどうか」でお話が決まる。
そういう構造になっている。
その能力を、どうやって構築しておくか?。
著者は、最悪の事態を想定した、どこへ逃げるか?の『かもしれない運転』で練習しておくことで、「準備」は可能だ、と言っている。
今、前のクルマが事故って、横を向いて(道を塞いで)止まったとする。
その時、止まれるか?
どこへ逃げるか?
いつも、逃げ道を探すことを癖にしておく。
(いつぞやの、エラーカウンターが役に立つ、かも。)
無論、逃げ道が無いこともある。
なら、マシな方を選ぶ。
「突っ込むとしても、壁よりフェンスの方がマシだ」
「まずブレーキを」という、日本の教習所でありがちな教えは間違いだ、ともある。一番ありがちなのが、前のクルマがブレーキを踏んだからボクも→間に合わずにドカーン!というパターンだからだ。
公道では、本当によくあることなのだが、
「前のクルマに付いていっているだけ」状態にあるドライバー、
それが、一番陥り易い危険なのだと。
「道をふさがれて、逃げ道がなかったんだ!」
そんなケースでも、後で検証してみると、避けられる余地が結構あった場合がほとんどなのだそうだ。
後知恵のずるい言い方かもしれないが、現実として、「避けられる余地を見逃していた」ということになる。
いつも、「避けるマインド」で居ること。
それを、癖に、動作プロにしておくこと。
クルマと違って、なにせバイクだ。
逃げられる隙間は、結構ある。
逃げるとしたらどこか、を常に考える癖をつけておくこと。
例えば、クルマのお尻ではなく、クルマとクルマの間の空間の方に意識を置くこと。
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よくある心理ゲームの図で言うと、
「人の横顔の方ではなく、花瓶の方を見ろ」
となる。
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横顔の方を見ていると、有事の際にとっ込んじゃうからね、
というのが、ここでの認識論的な解説となる。
(クルマの間にしゃにむに突っ込め、と言っているわけではありません。日ごろ、そういう目でもって、有事の際の心の準備をしておきなさい、という意味ですよ。一応。)
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