読書ログ ローマ人の物語 (14) キリストの勝利 (その2)
2016-04-24


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私は、塩野先生がマキャベリやベネツィアを書いていた頃からのファンで、このローマのシリーズも、初めっから初版で買って読んでいた。

(インパクトの強いイタリア車である)ルマンに乗り始めてからこっち、イタリア的な楽しさ面白さの何たるかを探求するのは、ほとんどライフワークになっていた。塩野先生の著書は、その貴重な情報源の一つだったのだ。

で、その「何たるか」の根源は、やはりローマにあると感じていて、塩野先生がローマを書き始めた時は、「やっぱりココですか?」てな感じで。(何せ、古代ローマには「いい男」が多いですしね。笑)

通読すると、「いい男」の筆頭であるカエサルの辺りは、筆致も非常にノッていらして、それはそれは楽しく読ませていただいたのだが。

この辺りですね。
ローマ人の物語 (4) ユリウス・カエサル-ルビコン以前禺画像]
ローマ人の物語 (5) ユリウス・カエサル-ルビコン以後禺画像]

その後、ローマ帝国が衰退の下り坂に差し掛かると共に、著者のノリも下降線を辿ってしまい、あまり楽しく読めるものではなくなっていた。

そして、その先には、前述の、私がずっと気になっていた問題がある。
キリスト教だ。
古代ローマ帝国が、キリスト教に飲み込まれる瞬間。
それは、どういうものだったか。

ローマを書き始めたが最後、それは、避けて通れない終着点だ。
この人は何れ、キリスト教を書かざるを得ない。

具体的にはこの辺、シリーズの最後の3冊になる。

ローマ人の物語 (13) 最後の努力禺画像]
ローマ人の物語 (14) キリストの勝利禺画像]
ローマ人の物語 (15) ローマ世界の終焉禺画像]

でも、読めずにいた。

ずっと通読はしていたから、面白くはなさそうだ、という予感はあったが。
それだけではない。

何となく、まだ、消化不良を起こしそうに思ったのだ。
結果として、私の方が相応な歳になるまで、待ったような感じになった。

いや、折角なので、カッコよく言っておこう。
「期は熟した。」 (笑)

国の一生も、人の一生も、「旅客機の飛び方」に似ているように思う。

離陸すると、まず、一気に高度を取る。
高度は、何かあった際に落ちるまでの時間、つまり、マージンでもある。
それを確保するためだ。

勢いや能力や、運なんかは、できる時にやらなければ、つかめない。
若い時、成長期は、一瞬だ。

後は、その高度を保って、できるだけ遠くに飛ぶことになる。
風に乗れれば、もっとよい。

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