読書ログ サーキット燦々
2016-06-19




以前取り上げた、 マン島TTを書いた本 と、同じ著者による本である。
2005年の、ちょっと古い本だ。
本棚から久しぶりに取り出して、めくってみた。

題名から察せられる通り、日本のレース界の来し方が、いささか情念を込めつつ書かれている。

日本が初めて乗り物でレースをしたのは明治時代・・・といったお話もあるのだが、その辺はお触り程度。歴史的な詳細をさらう本ではない。お題は、やはりというか、戦後の復興期から、日本がモータリゼーションの坂を駆け上がる、60〜70年代の情念が主題である。

この手の書き物の通例に違わず、戦後の、ホンダからお話が始まる。
宗一郎がわめいて、藤沢が頷いて、滑ったり転だりで時代が進んだ。
そんな話。

お題目のサーキット、つまりレースのお話は、富士登山レースや、浅間火山から始まる。その頃の現場の雰囲気が、臨場感を持って書かれている。

まるで見てきたような筆致なのだが、著者も実際に見ていた(出てもいた)故だから、説得力はある。だが、美しい回顧色をかなり感じさせるので、どちらかというと、当時の関係者からヒアリングした内容の方が、情報としては価値がある(珍しい、本当らしい)ように思われた。この傾向は、以降も続いている。

レースの方に話を戻すが、この当初から、メーカーががっぷり関わって「おカネの話」になってしまい、警察を初めとする道路行政の制約もあり続けたから、その後の推移は「右往左往」に近かった。次の場所、もっと良い場所を探し、移しして、冠の名前を変えてみたり(何とかクラブマンレースとか)、何とか協会みたいな組織化が出来たと思ったら変わったり。その脇で、ホンダに続いて皆して、海外のレースにわらわら出て行ったりしていた。

そんな中で、著者がマルクメールとして挙げるのは、鈴鹿サーキットだ。

まず、お話がホンダに戻り、宗一郎が、日本にも本格的なサーキットを!とわめいて、場所を探す視察と誘致に絡んだ出会いがあり、鈴鹿で宗一郎と藤沢が頷き合って・・・。いや、作るって言ったって、そんな本格的なレース場なんて本邦初であって、その工事で培われた技術は、日本の道路舗装技術の暁であった。云々。

サーキットの整備は、開発環境の整備でもあるから、車両技術の方も磨かれて、エンジン技術なども、格段に進歩したのだが。この頃、その技術水準に、やっと4輪が追いついてきて。(4輪業界は、2輪と違ってお国に保護されていて、競争したり切磋琢磨の必要がなかったから、基盤技術では2輪より遅れていた由。)

いや、追いつかれたのは技術だけではなくて、市場の方もシフトが進んでいたのが、大きく影響したろうとは思うのだが。それは置いて。

これ以降は、4輪のレースの話になる。
ベレットや、スカGとポルシェなんかが・・・FISCOができて・・・。

著者は、この頃から本格的にレースの現場に関わっていて、文章の「見てきたような感」は、いっそう磨きがかかる。(実際に、よく見てたんだから当然だが。)

私見だが、それ以降、バブル期以降から、今現在に至る「レース」は、「フォーミュラ何とか」や「何とかGP」に代表される、高度に組織化、かつ専門化した花形興行に露出が収斂し、それ以外の、草の根の「何とかカップ」は、散発的に数奇者が集まる程度に留まったままだ。かつて、2輪業界の振興を目的にしていたオートレースも、今や風前の灯だ。レースが「根付いた」とは、お世辞にも言えない状況にある。

しかし本書は、そこに至る前の「ピーク」で、話を終えている。

「ああ、あれはピークだった。」

レースを、そんな風に情熱を持って懐かしむ。
そういう本だと思う。

じいちゃんの、青春時代。


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