読書ログ ピアニストは語る
2016-10-15




本屋の店頭で見かけて。ふと読んでみた。
著者とされているのは、ピアニストであり、文筆家でもあるアーティストで、彼をインタビューした様子を、活字に起こした本である。

この著者の著作は、以前に一回、取り上げている。
「ピアニストのノート」 2013/10/13

本書の内容だが、彼の生い立ちや、音楽性に関するもので構成されていて、上の本と同様、心理の内面に落ち込むような重いものではあるのだが、今回のは口述文で密度が薄い分、ずいぶんとラクに読めた気がする。

その特殊な音楽性故か、最近、通好みとして(?)日本では人気が上がったようなこの著者なのだが、ここ数年、日本でのライブ公演やCDの発売などが相次いでいる。そういったニーズに応える意図なのか、本書は、上記の本の続編として、この音楽家に、その音楽性の形成に寄与したと思しき要因を掘り下げて語ってもらうという作りになっている。

まず、自身の生い立ち、つまり、旧ソ連で生まれ、ピアノを学び、コンテストに勝ち、亡命するまでの成り行きを。次に、音楽性そのものについて、彼が考えていること、求めてきたことを語らせている。(後述するが、これが、最近発売になったCDのプロモーションになっているのが、本書のもう一つのミソである。)

旧・共産圏には、既に伝説級のラフマニノフを始め、著名なピアニストは数多い。きっとかの国には、その秘訣のようなものがあって、その片鱗が彼の言葉から察せられるかも?と期待する向きもありそうだが、その望みはしかし、あまり満たされそうにない。

どうも、かの国独特の厳しさが、彼らの音楽性を鍛えるのに貢献したらしいとは思われるものの、旧ソ連の厳しさは、我々が普段聞き及んでいることと、多少は違うだけで、粗方は変らない。さらに、彼が実際に渡ってみて初めてわかった西側の実像が、彼が東側にいた頃に想像していた「理想化された姿」とは全く違っていて、東側とは異なる種類の艱難辛苦が待ち受ける、「苦労は違うが、苦しいことは同じ」世界だった、という下りなどは、ちと苦笑ものでナンである。ああ、やっぱそうですよね、と。(笑)

そうやって、あらゆる困難の波状攻撃に、負けずに立ち向かってきた彼の努力(苦労か)が、彼が芸術性の基盤として強調する「自分が自分であること」の確立に役立ったことは、確かなのだろうとは思われた。

次のお題の、音楽性の方だが、これは、相変わらず、観念的で難しい。そもそも、音楽とは何であるのか、その捉え方からして、私のような一般民間人とは全く異なる。

この著者は、元々からして、その辺の底の浅い芸術家のように、耽溺して流される類の人ではない。埋没し、深く沈みこむことで、普通なら到達できない類の、深みに至るタイプだ。

その彼が語る音楽は、我々の表層的な理解とは違っていて、どうやら、「本物」らしい。
「それを知りたい」と欲する一般人の劣情に、彼は、真摯に答えようとする。

音楽とは、調和と時間を操ることで伝える、感覚そのものだ。表現や技巧、感情や精神とも異なる。最近やっと、ハーモニー、つまり、多くの要素が一体になって全体を作り出すことを、捉えられるようになったと感じている。それは、正確に、静寂と共に、平穏に伝えられる。そう思う境地に、最近、至った、と。

音楽は、作るものではなく、既にあるものだ。クラッシクの古典は、作曲家が、自分を通して感じえた音楽を、全身全霊でもって、しかし、そのほんの一部だけを記しえたものに過ぎず(楽譜という手法の限界、音楽の全てを伝達できない)、音楽家は、かつての作曲家が生涯を賭して描き続けた音楽のありのままを、感性と想像力を総動員して現すべく、その瞬間を待つ。(その瞬間は待てば来る、と言っている。)


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