読書ログ 僕流その日暮らし―世界一周ライダーのめげない人生術
2017-01-21




日本一周とか世界一周の類の、まとまった長距離ツーリングというのは、バイク乗りとしては、ちょっと憧れたりはするんだけど。実は、やっている人は、思ったよりたくさんいる。

普通のツーリングでも、要所々々では「日本一周中」ののぼりを掲げているような人は結構見かけるし、「日本一周記」の類の書籍も、Amazon辺りで検索すると、えらい数が出てくる。

日本一周と言っても、内情はピンキリで、もし海岸から内陸まで日本国中をくまなく回ろうとすれば、それはもう大変な手間で、例えば何かの調査のような「仕事」とか、それこそ 賀曽利御大 でもなければ不可能だ。だから普通は、海岸線をくるっと回るだけだったりするし、その場合、 バイクで強行軍なら一ヶ月かからなかったり する。

ということは、「日本一周」できるかどうかは、それ相応のヒマとカネを割けられるか?という甲斐性が主なファクターになる。日本じゃなくて、世界一周となったって、財布がブ厚い皆様にとっては、大した手間ではないというのは、やはり 過去に見てきた例 の通りだ。

カネヒマの話となれば、つまるところ、「ナントカ一周」のそれ自体は、特別な所業ではない。それが特定の意義を帯びるのは、どう一周したかのプロセスや、その後の経験の活かし方などの方に、かかってくるのだろうと思う。

そんなわけで、そういった「一周記」をモノした皆様の「その後」について、知りたいと思っていた。ぶっちゃけ、「ナントカ一周」したからって、その後もそれで食えるワケじゃなかろうことは想像がつく。

でも普通、「ナントカ一周」した皆様は、その後については書いてはくれない。だから、本書は、とても珍しい本だ。

ただ、読後感は、「やっぱりな」を超えなかった。

こんなことをやってきました!こんなお知り合いができまして、その後もお付き合いしてます!楽しかったり面白かったりしてます!それは、世界一周をしてきた、その経験の故です!!

まあ、その通りなのだろう。
(そのお話の詳細は、何だか、自分が何をやったかより、他人に何をやらせたかを成果として見せたがっているようにも感じて、ナンダカナ〜だったりもするのだが。今は置いて。)

でも、その重さと言うか価値というか、「ナントカ一周」の経験のない我々と、果たして、そう大きく変るもんなのかなと。

同じような期間(年齢)を生きてきた人間にとって、会えた人の人数、付き合いの深さ、学んだ教訓、そんなものって、まあ数値としては計りようがないのだけど、感覚的には、大して変わらないんじゃないだろうか。

生きていくことの目的が、何らかの「楽しみ」なのだとしたら、その「楽しみ」のために、経験をどう使うか、その「応用力」の方が要はキモなのであって、それさえ弁えていれば、「ナントカ一周」のような一里塚は、必ずしも要らないのではないか。そうも思えてくる。

というのはつまり、やっと?達成したその「ナントカ一周」が、人生を「楽しく」つまり有意義に過ごせるかとはさほど関係ないと、そういう、面白くもない(予想可能な)結論、または現実、になりもする。

(まあ実際、何かの必要に迫られてやるようなことではないだろうから、「それでいい」のではあるけれど。)

だから、本書は、確かに珍しいのだが、結局は「ふーん、そうなのか、凄っげー(かも)な!」と面白がって、ハタと閉じる。そういった、「ナントカ一周」の紀行文と同じような読み方しかない。のかもしれないなと。

片や、既に「ナントカ一周」をするほどの気概は、とっくに失せてしまった老いた私ができる事と言えば、この著者がふと書いている、世界の平和を祈ること、その位のものなのだろうと、ぼんやりと感じた。


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