ヤマハ帝国の崩壊
2020-10-03



ずいぶん古い本だ。昭和58年の刊。1983年、37年前だ。

当時、ヤマハを告発?解体?を意図した本を出していた著者による、2冊目らしい。

1冊目は、本書でも「前著で書いたが」とポツポツ触れられている内容からすると、「日楽」つまり楽器の方のヤマハの悪辣さに関したものだったようだ。

本書は、「発動機」のヤマハの、特にHY戦争と言われた販売バトルの後処理の時期を書いている。

本書(たぶん前著も)の内容のほとんどは、当時の会長、川上源一の人格攻撃だ。

お話のレベルとしては、会社の上層部を話題にしたタバコ部屋のうわさ話、「ナントカさんはアレなんだよね〜」の集大成だ。著者もその辺りは自覚していて、同種の噂話をする連中を「ヤマハ雀」と称していて、自分もその一員であると認めている。

ヤマハはひどい会社だ、川上は厚顔無恥なボンクラで、社員は有能でも意に沿わなければ追い出され、残った上層部はイエスマンばかり。とはいえ、会長お得意の事業の「読み(≒わがまま)」が外れる度に、尻ぬぐいがてら、いいように挿げ替えられるので、残ったとていいこともない。かわいそうなのは現場で汗かく末端社員…というのは日楽も同じかそれ以上・・・

方や、そのヤマハへの当て馬たるホンダの方は、素晴らしく統率が取れた有能な企業として描かれており、隣の芝生として、青々と茂っている。

これを今読むと、まあ当時は事情通として光っていたのかもしれないが、楽器なりバイクなりの技術的な知識と、それを商売として回す事業の知識、市場やコンペ、銀行などの外部環境に関する知識などなど、何と言うか、全体感のようなものの不足を感じる。

ヤマハ発動機の事業の趨勢のお話ではあるのだが、この著者はバイクには乗らないどころか、バイク自体を良く知らない。バイクの場合、カブやスクーターの実用車と、大型エンジンの娯楽車では市場の質がまるで違うが、そういった区別もできていない。当時のヤマハの輸出向けの看板車のXV750ビラーゴを「大型バイクで2ストを採用した珍しい例、ヤマハ伝統の2サイクルエンジンのノウハウを込めた」と書いていたりする。(2サイクルと2気筒を混同しているのかもしれない。)

そんな具合で、読んでいて、首をかしげることは少なくなく、納得感もほとんどなかった。

でもそれは、多分、この本の当時でも同じだったのではなかったろうか。
(端的に、当時の川上の横暴に溜飲を下げたい人にしかウケなかった。)

実態としてのヤマハの川上氏は、多分、「こういうこと、やってみかった」でずっと来てしまった人だ。戦後に企業を大きくした人にはこのタイプが多かったし、今でも、ファウンダーは同じ種類の、無邪気と無鉄砲を併せ持つ例が多い。いいアイデアもあるにはあるが、素っ頓狂や妄言を吐くことの方が、遥かに多いと。そういうものなのだ。

戦後すぐの時期は、バイクに限らず、市場の拡大の方も著しかったから(正確には、スタート時の規模が過度に縮小していたのだが)、商売が粗っぽくても、それなりに伸ばせた。ズルイ、キタナイ、やったもん勝ち、恥知らず上等、ツラの皮は厚い方が良い、手のひらはいくら返しても減らない。そいういう世相だった。成りあがるのに、人格など要らなかったのだ。

それでも、イッパシに成り上がって、資産も地位もノシてきて、さらに歳も取ったとなると、自分自身のメンツばかりが募るようになる。自分の先見の明が、ただの素っ頓狂だったと証明されても、それを認める余裕なんかは、とうの昔に失くしている。そこんとこを慮ってくれる部下を傍に置きたくもなるし、次の崖っぷちを正視するのを避けるようになる。いわゆる老害ってやつだが、そうやって、企業というのは、ピークアウトしていくものだ。その点、著者の話は外れていない。


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