◆ (文庫)戦車の歴史 理論と兵器
2023-05-06



私は、「乗り物の歴史モノ」に目がない。
昔から、 「馬車の歴史」 のような妙な本を見かける度に、せっせと買って読んでいた。

なので、本書も「これだああ」の体で読んだのだが。
甘かった。

戦車は、乗り物ではない。
兵器だ。

本書は、二次大戦当時、陸軍の戦車学校教官を経て、参謀としてインドシナや中国を転戦された元軍人さんが、退役後に記された本だ。

原著は1977年の刊。
原題は、「歴史」なしの「戦車 理論と兵器」。

内容は、書名とは少々異なり、戦車を使った戦闘の歴史、戦車戦記である。実際に戦車が使われた戦闘の事例を振り返り、何が良くて悪かったのか、分析と解説を加えている。

ご自身の研究結果をまとめたものなので、記述は二次大戦までだ。それ以降〜現在までの最新情報は含まれない。

実の所、戦車という兵器は、汎用性は高くない。これが使えるのは、丘陵地や砂漠など、ある程度の硬度を備えた平坦地だけだ。森林やジャングル、湿地、岩場、凸凹や大きな亀裂があるようなフィールドでは使えない。

また、兵器そのもののスペックよりも、操り手の技術と、使い方の戦術への依存度が高い。どんな戦場で、どんな敵に対して、どんな車両を何台並べて、どのように動かして、攻め、守るか。その戦術がモノを言う。

戦車のそもそもの出発点は「騎兵の馬の代替・強化・機械化」なので、戦術の発想が、歩兵や騎兵の時代から始まっているということもある。日本の戦国時代の戦記でもおなじみの、地図上に白と黒の凸で敵味方の陣を描いて、これを動かして戦闘の様子を表す、あの世界の延長だ。

動きは遅いが火力が強い車両、その逆の車両、時には歩兵や機関兵も組み合わさる。戦闘のみならず、戦地までの移動や、弾薬、食料、燃料などの兵站も含めて、鉄道輸送の可能性や便宜性(自走による移動だと、一番遅い車両の動きに合わせざるを得ず、いい的になる由)まで、全部まとめて戦闘を組み立てられてこそ、初めて生きる兵器なのだ。

「高スペック最新機の投入」で、お話がある程度済んでしまったり、そこから話を始められたりする飛行機や艦艇とは、根底から世界観が違っている。

戦車が、「デケー、スゲー、カッケー」で済むのは、タミヤのプラモの世界だけなのだ。

戦車を理解するには、過去の事例に学び、自らの事例に応用すべく、研究と創造が必要だ。
本書は、その目的で書かれている。

歴史的に、戦車は軍の内部でも評価が一定しなかった、とある。言われてみれば当たり前なのだが、戦争が、戦車が有効に使えるフィールドで行われていれば、当然その評価は高まるし、戦術の研究や、車両の開発にも予算がつく。そうでなければ、戦車は検討の材料にもならない。

満州に戦車は必要だったし(だからソ連にやられたのだが)、南アのジャングルでは無用だ。軍の首脳が単細胞で、戦況を広く見渡した戦術を立てられなければ、戦車の有効活用はおぼつかない。

つまり、戦争そのものの性質と目的、それを担う方法論たる戦略からのブレークダウンが、戦車を決める。戦術は、戦略に従う。戦争を担うそもそもの戦略がダメなら、戦車による戦闘はダメダメになる。結果として、車両も搭乗員も報われない、そういう最悪の事態を招くことになる。そんな事例は過去無数にあったし、先の大戦の日本軍にも、無論のこと溢れている。

今現在でも、各国は戦車を保有し、それを活用すべく戦術と訓練の双方で鍛錬を続けている(はず)だが、それは、各々が想定している戦争の姿を表していることになる。


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