ここ数週、バイク関係は話がとっ散らかっていて、うまく書けていない。
ざっとまとめておくと、
・ もし、レースが実験室なのだとしたら、市販車に何かしらのフィードバックがあるはずなのに、実際は何もなかった。
・ 実質的に、レースは「頂点のイメージ」(お手本)を提供することで業界に貢献してきたが、それを利用してきた当のメーカーが、何の反省もなく、それを捨てようとしている。
・ 一方で、サーキットで戦うライダーたちは、安全面は環境が向上しているにもかかわらず、速いだけで妙な特性のレーシングバイクに苦しめられ、命さえ絶たれ続けているように見える。
・ もういいかげん、レースをどう使い、何を残すつもりなのか、少し考え直した方がいいんじゃないかと思う。日本のメーカーは特に。(レーサーだけど、そこそこ人間が乗りやすそうに見える例としてManx Nortonを挙げた。)
とまあ、小うるさいことは、今週は忘れて。
シンプルに、レースを楽しもう。
だって、バリーシーンだもん。
根が明るい人である。茶目っ気があって人懐っこくて、いつも、どことなく楽しそう。美人も夜遊びも大好きだが、実は素朴で真面目な男だ。表裏がなくて正直で、ジョークも本音も素のまんま。たとえ相手が偉かろうと、文句はハッキリ、ズバリを言う。きっと、本当はいつも本気なのだ。
いつだか読んだ記事なのだが、バリーが公道で交通違反で捕まって、それがために大切なレースに出れない、という事態となった。国家的ヒーローのピンチ(?)ということで、当局が特別に配慮をしてくれて、事なきを得たらしいが。その時の彼のコメントがふるっていて、
「ありがとう。ボク、いい子になるよ!」 (I'll be a good boy!)
だったとか。
今で言うと、陽気なロッシあたりが近いイメージかも知れないが、ロッシの、自分で自分を追い込んでいるような、あの微妙な影は、バリーにはない。むしろ、はなっから喜んでやっている、いたずら坊主のイメージだ。
トップのレーシングライダーは皆、焦点がぼやけたような、すごく遠い目つきをするようになる、とは富樫ヨーコさんの受け売りだが、確かに、心ここにあらず、といった感じの「遠い目」が、トップライダーには多い。バリーもそうではあるのだが、少し他の人と違っていて、彼の目の奥底にある光は、最後まで失われなかった。
そんな彼がいた頃のGPである。
レースは、凄くて、怖くて、楽しかった。
何せ、あの頃のレースだ。いろいろ凄い。セーフティーエリアったって、ストローバリアが申し訳程度に置いてあるだけだし、バイクは無作法な、正真正銘の怪物だ。それで、雨の中でもレースする。こそここでアクシデントは出続けるし、実際、シーンも何度か死にそうな目にあっている。
ヨーロッパ(イギリスだが)のライダーなので、その歩みを追うということは、GPを初めとした向こうのレースの歴史をなぞることにもなる。資料的に見ることもできて、例えば、50ccのクライドラーなんて久しぶりに見た(静止画だが)。本人や関係者のインタビューも豊富で、当時のものもあれば、取材しなおしたものもあって、単純に解説として役立つ以上に、当時の雰囲気をうまく伝えている。これが、字幕付きで見られるのだ。いい世の中になった。
やっぱり、レースって、凄かったなあ。
この「ゼッケン7」は、いつも、そう思わせてくれる。
そうそう。
アンチ・ケニーな人にもお勧めである。(笑)
そういえば、ライダースの別冊で、バリーシーンのもあったよね。再販してくれないかなあ・・。
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