読書ログ 「ガガーリン」
2013-11-09




先週に続いて、宇宙の話だ。
しかし、今週のは暗い話になる。

珍しい話ではない。
むしろ、よくある話だったと思う。

「どうだったか」より、「どうあるべきか」が上位な社会(表向きだけだが)では、群れ(国とも言う)は、人を消耗品として使いがちだ。そこに居て、便利な人間から使い、用済みになったら捨てて行く。使えない方の人間が残って行くから、そのうちに、「どうあるべきか」より、「どうしてもあるもの」、欲や妬みなんかが、次第に濃縮されて行く。悪いことに、それらの発露は容赦がないので、粛清は、きっかけを見つけては、何回でも繰り返される。そうやって群れは、強くなりながら、また、のさばっていく。

(表向きだけとは言え)「どうあるべきか」にも上位下位があって(価値観とも呼ばれる)、その在り様は、大概は群れ固有のものだ。だから、外側(他の群れ)からは、大変、奇妙に見えることも多い。(時にそれは、「文化」とも呼ばれる。)

この本の主人公は、「そこにいて、便利」だった。
根は真面目で、純朴、かつ実直と来ている。

60年代初頭。しかもあの国だ。
宇宙飛行にまつわる、技術的な未熟がもたらす帰結の数々、加速度、衝撃、温度差、酸素不足、減圧などだが、プロジェクトの担当医たちは、そういった事態を「訓練」で補おうとしていた。身体的能力とは、判断力や意思などの頭脳にかかわる話ではなく、もっぱら、それ以外の部分の作りが頑丈かどうかを示していたらしい。

技術的には、「辛うじて可能」というだけのレベルだった、あの巨大な機械が、実際に飛び上がり、(一部を除いて)何とか動いて、中にくくりつけた人間を生かしたまま「引きずり回す」ことに成功したのも、だから随分あやうい確率だった。ラッキーという意味で、神のご加護はあったかもしれない。ただ、それを、何か(群れ)の優位性の証拠とか、それを競うモノサシとか、そんなものとして使いたいという「意向」は、やっぱり、場違いだったように思える。

群れは彼を、地上に戻ってからも、便利に引きずり回し続ける。不自由で面倒で延々と続く長旅がもたらす大き過ぎる負荷は、真面目で純朴、かつ実直だった彼の器を越えていたことは無論、丈夫だったはずの彼の身体をも蝕み始める。

群れの方も磐石ではない。特に、「どうあるべきか」が、実質は変わらず、ただ分布だけが変わることはよくある。
ニキータがはめられて、レオンに変わった。彼の「ピーク」が、それに重なったのもまずかった。

本書だが、もとBBCのプロデューサーが編んだ本のようで、確かに、この内容を、今、あの国で調べるのは、相当な苦労だったろうと想像はつく。わが国は、いろいろと、ご近所仲が悪いのだが、悪いところは、ご近所とよく似ていたりする。あの国とも、群れ優先を強いる雰囲気(全体主義、官僚主義)や、おおっぴらだが根が暗い所、深いコミュニケーションには酒が必須な所など、よく似ていると思う。(なんで友達になれないんだろう。)

「どうだったか」より、「どうあるべきか」を優先する雰囲気も似ていて、人々は、眼前の事実を、真面目に見ようとしない。見ることを禁じられている、と思っている節さえある。そも、公式記録からしてそうなのだ。我田引水と、責任逃れの嵐。だから、そこから得られた情報の総和である本書が、「どうだったか」を的確に示しているかは、よくわからない。

知っておいていい話だとは思うが、じっくり読むほどの話でもなかったとも思う。元になったドキュメンタリー番組で十分だったとも。1時間内外で済むし。(Discoveryあたりに、似たような番組がありそうだが。)

なんて、他人の重い苦労話を、軽くスルーしてしまう所など、「人を簡単に捨てる悪い文化」は、私の中にも、しっかりと息づいているようでナンなのだが。


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