読書ログ 映画術
2015-01-31




先週に続き、芸術的嗜好品。
今回は、映画の話だ。

どこぞの美術学校で行われた、映画監督(著者)による、映画の造りについての講義を、文字に起こしたものだそうだ。

文体は口述筆記だが、著者の軽妙な語り口そのままで好印象、かつ読みやすい。実際の講義では、映画のシーンを教室で見せながら解説する場面も多かったようだが、本の方にも、その映画のコマ割り写真がちゃんと挿入されていて、何となくだが、その雰囲気が追えるのも良い感じだ。( 絵的な情報がない苦しみ を味わわずに済む。) 無論、「間」や「音」を含めて、著者の意図をちゃんと感じ取るには、元の映像を当たらないといけないだろうけど。

私は映像(動画)の作り方を学んだことはない。たまに、テレビで見る映像のあまりの演出にうんざりしたり、自分で撮った子供のビデオのあまりのヘタクソさに悪酔いしたりする程度のド素人だ。だから、今回のお話は真新しく、楽しく読ませていただいた。

多分、映像作製の世界を覗いたことのある人なら、あああれか、の世界なのだろうと思うのだが。「完全な素人」が読む分には、なるほどお、映像のプロというのは、そういうことを意図して(そういう目線で)映像を見ているもんなんだあ〜と、感心することしきりだった。

私も、写真の方は少しかじったが、動く動画、さらに音がつくとなると、まるで勝手が違うものだ。そも、情報量が全然違う。まだあどけない子供のスチール写真と、動くわ泣くわの動画では迫力が違う (笑)。その、動画ならではのリアリティの強さを、うまく「表現」につなげる技術というのは確かにあって、それを体系的に学ぶと、こういう目線が身につくのかな、とそんな印象。

目次を拾うと。
動線、顔、視線と表情、動き、音楽・・・。

なにせ映画の話なので、「人間の演技をどう伝えるか」の話、または、「映像で伝えるには、どんな演技がいいのか」の話になる。(元が俳優志望の学生さん相手の講義なので、本来は後者の意味で語っている。)

だから、顔や表情、目線といった、役者さんの感情をより深く伝えうる部分の写し方(写り方)の話に、ほぼ収斂している。

こう人が動いていって、こういう感情を、このタイミングで伝えるために、セットはこう、ライティングはこうなっていて、そこで、この役者さんがこうして、それが、こんなふうに伝わる・・・。

「これが当時は革命的で、この後みんながマネをして・・・」

「ホント誰も気がつかないんだけど、こんなことをひっそりやっていたのが、この監督さんの凄いところで・・・」

へえ、そうなのかあ。そう思うと、昔見た映画でも、あらためて見直してみたくなるが。そこはちゃんと、出典を明らかにしてくれているから、メモした上でDVDレンタル屋にダッシュするのも可だ。まあ、70年代のロマンポルノなんかもあるので、ちょっとどうかなっ、とも思っちゃうけど。(笑)

ひとつ驚いたのは、「映画の音楽性」に触れた下りだ。
といっても、映画音楽の話ではない。
先週の本 の一節に、音楽の普及に映画が一方ならぬ働きをした、とあったが。そういうマーケットサイドの話でもない。

セリフそのものが音楽のように聞こえたり、映像と相まって音楽的な効果をもたらしたりと、そんなことを言っている。

音楽とは、いわば、「とあるテンポの音の高低で何かを伝えるアート」だが、映画も、そんな風に、一連の映像とセリフの流れでもって、自然に何かを伝える状態、「映画が歌っている」のが理想だと。

「映画は、音楽にだけ嫉妬する。」
これはちょっと意外だった。
音楽と映画が、そこでつながるとは。
(でもそう言われれば、そんな気もする。)


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